クンダリーニヨガティーチャー兼作家の青海エイミーです。
私がヨガをはじめたのは、まったくの偶然でした。
たまたま友人が、「クラスをはじめたので来ない?」と声をかけてくれました。
それまでの私は、体を動かすことには全く縁も興味もなくきました。体育は嫌いだったし、運動部にも入ったことはありません。体も硬いし姿勢も悪く、お腹周りが太くて、だらっとした体型でした。それに、正直言って「スピリチュアル」ぽい人たちが苦手、という気持ちもありました。
でも、せっかく誘ってくれたからと、クラスに一度だけ参加することにしました。
ついてみると、友人は白の上下の衣装、頭にはターバンで前に座っています。
お祈り的なものもあり、何がなんだか。。。かつ、友人はフランス人なので、フランス語で他の生徒と会話もあって、「この場はなに?」という気持ちでした。
「どう?エイミー。楽しんだ?」と彼女にきかれて、
「うーん。まだ分からない」と正直に言ったのを覚えています。
これがクンダリーニヨガとの出会いでした。
楽しかったとも感じなかったし、特に続ける理由もありませんでした。むしろ、少し孤独を感じました。
ところが、一晩寝て次の朝のことです。
自分の背中がすっーと伸びていることに気づいたのです。
鏡にうつるのは、見慣れた私の姿ではありませんでした。
姿勢が悪いのを気にしていた私は、本やネットで調べて、いい姿勢を試したこともありました。
でも、全然変えられず、自分はこうなんだと諦めていたのです。
それが、たった一回のレッスンで変わるなんて。
「クンダリーニヨガってすごいのかも」と思いました。
楽しい訳でもないし、居心地もいいわけじゃないけど、続けようとは思いました。もしかしたら、姿勢だけでなく、体全体の調子もよくなるかもしれないと思ったのです。
この時の私は、カラダを動かすこともなかったからか、筋力がなく、低血圧で冷え性でした。
肩こりもひどく、偏頭痛にしょっちゅう悩まされていました。
だから、クンダリーニヨガで体調がよくなったらいいなと思いました。
でも、スピリチュアルなのは抵抗があって、マントラも小さい声でもにょもにょ呟いていました。ひどい音痴だからか、人前で声を出すこともなかったので、恥ずかしい気持ちもあったし自意識過剰だったのかもしれません。
せっかくレッスンを続け始めたのですが、なかなか思うようではありませんでした。
今まで運動をしたことがなかったので、レッスン後に疲れをよく感じました。自分に向いてないのかなと思うこともありました。
最初の2ヶ月ほどは、「ああ、今日もレッスンの日かー気が乗らないなあ」と思って車を走らせていました。一週間に一回でも、全く運動をしたことがない私には大ごとだったのですね。
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それから3ヶ月後、その先生はヨーロッパに帰ることになりクラスは閉じられました。
彼女の紹介で、夜7時半のクラスにうつることにしました。サラという先生のクラスです。知っている人ももちろんいないので、最初は落ちつかない気持ちでした。でも、「とりあえず続ける」と決めて、毎週コツコツ通い続けました。
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半年ほどすぎて。 ある日のレッスンの後、何気なしに、サラに「一週間に一度、ここにこないと、なんだかすっきりしないんだ」と言いました。正直な感想でした。
すると、サラは、驚いた顔をしました。
「エイミー」にっこりすると、こう続けました。
「あなたはクンダリーニ・ヨガにアディクテッドになっちゃったのね」
そうなのよ、私もそうなのよ、という笑顔でした。
まったく予想外のことを言われて、私はなんと答えていいか分かりませんでした。
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それまで私はヨガを「好き」と思ったことはありませんでした。半年たっても、行くときにはいつも面倒だなと思っていました。運動はまだ苦手意識があったし、体力も自信がありません。クラスでのエクササイズも、きついなあと感じていました。
でも、自分も気づかないうちに、私のどこか深いところで、いつのまにかクンダリーニヨガを感じ選んでいたのかもしれません。
ヨガをやっているときの感覚、メディテーションや、リラクゼーションのときの特別な感覚、終えて車で帰ってくるときの感じ、そういうものが、自分の生活に不可欠になっていたのです。
私は、しらない間に「アディクト」になっていたことに、サラの言葉で気づかされました。
最初の先生はポルトガルに移ったし、
サラもスウェーデン人なのでいつ帰ってしまうか分かりません。
もし、先生がいなくなったら、私はクンダリーニヨガを諦めるのでしょうか?
私はそれはいやだ、と思いました。
クンダリーニヨガで得られる「あの感じ」を失いたくなかったのです。
「人に頼らないで自分でできるようにしよう」と心の中で思いはじめました。それには、ティーチャートレーニングに行くことだ、と思いました。
その年、クアラルンプールでティーチャートレーニングが行われることを知りました。
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体も硬い。運動も苦手。英語も得意でないし、、。それなのに「ついていけるのかな」とは、考えませんでした。(後になって、実は大変なんですが)
多分、「やる」ということに気持ちがいっていて心配にまで回らなかったのですね。
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私は、クンダリーニヨガのティーチャーのトレーニングに行く、と決めました。
私は、人に教えるためではなく、自分ができるようになることを考えていました。
資格をとるためではなく、先生になるためでなく、自分ができるようになるためだけに、私は申し込みをしました。
クンダリーニヨガで得られる「感じ」を、私は自分のものにしたい。
そう強く思いました。
ティーチャートレーニングの日々は、朝5時から7時半まで、お祈りとヨガ、瞑想からスタートします。
そこから夕方6時半まで毎日、講義、グループワークなど盛りだくさん。
宗教も様々、年齢も様々、10カ国以上の国籍で集まった30人ほどの受講生でした。正直言えば、孤独や情けなさや、いろんなことを感じて、辛いという側面も大きかったです。
けれど、瞑想を2時間続けたり、ワークショップでは、ヨガをしながらなぜか涙を止められなくなったり、今までの人生では経験したことのないような時間を過ごしました。
ティーチャーの資格をとれたということは、私の人生を変えました。
「クンダリーニヨガを教える」ということは、今の私にとって、とても重要なことです。
一緒に練習してくれる生徒さんたちには、とても感謝しています。
ティーチャーとして教え始めて気が付いたのは、生徒のみなさんが、どんどん輝いていくことです。
だけど、それには「カラダが柔らかい」「ポーズが上手」は関係ありません。
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クンダリーニ・ヨガをやる上で、体が硬くても、運動が苦手でも、そんなことは問題ではありません。
上手にポーズがとれることが一番重要なわけではありません。
人の体はそれぞれ違うのに、どうしてポーズができるかどうかで優劣が決まると思うのでしょう。
それに、どんな理由ではじめてもいいです。
「ヨガが人生の第一目標です!」なんて人、あたりまえだけど、ほとんどいませんよね。
どんな理由で始めたって、いいと思うんです。かっこいい理由がなくてもいい。
私は、誘われたから始めただけです。健康が気になるから、美容効果を期待してるから、ストレス解消、暇つぶしで始めたって構わないのです。
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だけど、「クンダリーニヨガって、もしかしていいものかもしれない」って、そこにチャンスを与えて欲しいと思います。
一回づつクリヤを体験することで、あなたは少しづつ強くなっていきます。
ある日、「なぜかスッキリしていること」
「心がデトックスされたように感じること」
私のように「アディクト」になっていることに気づくかもしれません。
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だから、あなたがいつか、クンダリーニヨガを試して欲しいなって思います。
運動が苦手だって、体も硬くたって大丈夫。
私のクラスは、そんなこと気にしません。
だって、私もそうだからです。
かっこよくなくていい。
私だってかっこよくないのだから。
あなたも大丈夫。